突然だが、私の祖先は農民だった。
ある日、本能寺の変により追われる身になった明智光秀を竹薮で匿う、という幸運を得た。その時の褒美が、後に商人に成り上がる足がかりになったと聞いた。
光秀自身はその後やはり別の竹薮で農民に殺されたという(明智藪と呼ばれる)から、祖先の行動は日本史上、髪の毛ほどの影響も及ぼさなかったのだが、わが一族史においては重要な分岐点であり、その場所である竹林は必然「聖地」と位置づけられている。
毎朝、竹林の神様に手を合わせることを欠かしたことはない。
などというのは、うそだけれど(多少は信じてますが)竹林というのは特別な場所だなぁと、いつも思う。
足を踏み入れた瞬間、静けさに包まれる。宇宙の中で一人ぼっちになったような感覚。自分と外界との境が、やけにはっきりと際立つ。葉っぱがこすれる音は、ノイズキャンセリングホンのホワイトノイズの如しだ(意味わからないですか、そうですか。)
今回読んだ本は、小説家の登美彦氏が締切りに追われる最中、ふとこのままやっていけるのだろうか?と考えることから始まる。そこで出た答えが、「竹林管理」による多角的経営。知人の実家が所有する竹林を拝借することに成功し、さっそく準備を始めることに。友人の明石氏を巻き込み、締切りと伐採の日々。なぜ竹林経営なのか、将来はどうなるのかが語られる。
文章の内容はほんとにない。最後まで予定以上のことは起こらないし、ハプニングらしいものもない。妄想は膨らむものの、役に立つ話はない。著者自身、「無益だけど楽しい文章」といっている。
けれど面白い。ただただ森見登美彦の書く詭弁に満ちた文章と戯れるという趣旨の本なのだと思う。心に迫る物語も、萌えるキャラもない。あるのは、いろいろ難しい言葉を使って、阿呆なお話を展開する、森見登美彦節のオンパレードだ。
「エッセイ」というものについて、「思いつくままにただ書くことだ」と以前にこのブログで書いた。虚実まざっているこの本は、一般には「似非エッセイ」と言われるかもしれないが、読者が楽しいからいいじゃないかといいたい。こんな題材で普通のモノ書きが一冊の本を書けるか?と考えると、改めてこの小説家のすごさを思い知らされる。
で、美女はどこだ?










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